焼き場に立つ少年


 「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石炭の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

 10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

 少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました」 

(ジョー・オダネルの回想より)




Joe O'donnell (ジョー・オダネル):

 1923年、アメリカ・ペンシルベニア州に生まれ、米軍調査団カメラマンとして被爆直後の長崎を撮影。帰国後、私物カメラで撮影の上記写真のネガは罪悪感から自宅のカバンにしまい込む。仕事はホワイトハウス付カメラマンとして、歴代の大統領の写真を撮影。
 89年に米国内の反核運動に触発されカバンを開け、90年米国で原爆写真展を開催。日本では写真集『トランクの中の日本』(小学館 08年再版)を出版。
 2003年に長崎を再訪問し、撮影した当時の少年・少女と再会。07年8月9日没。
 上記の写真は、05年の米国での出版 "Japan 1945 A U.S. Marine's Photographs From Ground Zero"より。

 参考資料:
 やっと見つけた「よっちゃん」(毎日新聞・09年8月5日朝刊)